ダイバーシティー(多様な働き方)
日経ビジネス最新号に男性の育児休暇、イクメンの特集がありました。
地方自治体の首長が相次いで取得を宣言したのは昨年のこと。
その中の広島県知事のインタビューも掲載されていました。
読んでいて、この時代の流れを物凄くうれしく感じ、同時に物凄く羨ましくもなりました。
こうやってトップの方々が率先して行動することが、時代を変えていくことにつながるんだと思います。
このことは、出産で40%の女性が職場を去る現実に、大手の企業も少しずつ本気で考え始めたからだと思います。有能な、熟練したスキルのある女性をやめさせることがいかにもったいないか。
おそうじままは、なるべく働きやすい体制、休んでも大丈夫な体制を心がけています。殆どが女性のスタッフで、子育てや介護が女性に重くのしかかっている現実をお互いわかっているからです。
おそうじままでは、子育てや介護のための仕事時間の変更や休みを取ることは当然のことです。お客様に迷惑をかけないよう、変更に伴う事務はとても煩雑になりますが、仕事と同じように家庭も大切です。
と同時に、長く続く雇用を目指す為には、働きやすい職場である必要があるからです。現実的に長期で働いてもらえれば、求人の回数を減らせます。また教育にかける時間も減らせます。
私が働き始めたころは、総合職もなければ、セクハラの概念もなく、女性は結婚までの腰かけと言われていました。
結婚まで時間がないのに、大学卒の女性が、なぜ働くのか?なーんて時代だったのです。 (年齢がわかりますね)
以前TVで、ベルリッツインターナショナルのCEO、内永ゆか子さんが、「どこに仲間がいるのか、全く見えなかった。自分一人で戦っているような、、、」というようなことをおっしゃっていました。少し年齢は上の内永さんですが、やっぱりみんなおなじことを感じていたんだ、連携は取れなかったけれど、みんなそれぞれの所で孤軍奮闘していたんだと妙に親近感を覚えました(内永さんとは、比べようもないですが)
私が初めて働いたのは、大手の金属メーカーの名古屋支店。営業のアシスタントでした。
聞こえはいいのですが、電話番ですね。コピーを一日中していることもありました。少しずつ仕事が面白くなった時、進むべき方向が見えません。もっと仕事をしたいのに、女性にはその機会さえ探してもない。
縦に上がっていく展望はなく、ただ仕事が横に広がって、仕事の量が増える、定年で退職する女性が同じ仕事をしていると分かった時、心底がっかりしました。
ここにいたら、私を生かしてくれる人も、生かせる仕事も女性である限りないんだと悟りました。
しかし仕事はとても面白く、もっとかかわりたくて、直属の課長に『背広を着てくるから、男性と同じ仕事をさせてください』と直訴したこともあります。ダメでしたが、、、
システム自体存在しないので(女性が男性と同じ仕事をする)当然です。
その後結婚と同時に東京に住むことになり、ひょんなことからマクドナルドの店舗開発課に採用されました(宅建主任の資格を持っていた)マクドナルドでも初めての女性の営業職でした。
採用基準が、男性とまったく同じというただ一つの事にひかれて選んだのです。
そのような企業はその当時全くありませんでした。内永さんは、IBMに最初入社しますが、外資系の企業ですら、難しかったのです。女性は法律で残業時間も限られていました。守られているような、差別されているような、そんな時代だったのかもしれません。
その後の様々な厳しさや、自分との闘い、子育てしながらの仕事の大変さ、素晴らしさ、体力勝負など、たくさん書きたいことが山のようにあります。
女性というだけで、同じことをしても散々いろいろ言われたり、女性だからこそ得られるいい機会を与えられたりもしました。この間に得られた経験は、ものすごく辛いことも、大変だったことも、今思えば、懐かしくて、本当に素晴らしい経験ばかりでした。大変なことがどんなに自分を成長させたか。
書ききれません、またの機会があれば